「探検桜川−源流から下流まで」 8回霞ヶ浦自然観察会

(筑波山地域ジオパーク推進協議会教育・学術部会委員)

 

日程:20231118日(土)晴れ 冬の気配

日程:2014524(土)妙岐ノ鼻 ヨシ原と多様な湿性植物
日程:2022年5月7(土)身近な植物を観察しよう
日程:2022年5月21(土)霞ヶ浦にはどんな魚がいるのだろう
日程:2022年6月18(土)曇り 梅雨の中休み
日程:2023年3月18(土)小雨(一日中雨)身近なコケを観察しよう
日程:202356(土)晴れ 強風自然再生区のヨシ原で植物を観察しよう
日程:2023520(土)曇り後晴れ 強風 妙岐ノ鼻と和田公園で霞ケ浦を観察しよう
日程:2023年8月19(土)快晴 台風6,7号が去り、暑い日が続く水草を観察しよう
日程:2023年9月16(土)晴れ 真夏日妙岐ノ鼻と和田公園で霞ケ浦を観察しよう!
日程:2023年10月21(土)晴れ 秋本番身近な葉っぱで草笛を吹こう

 

鏡ヶ池 桜川源流
最近:19862019年に大きな水害

草の上にいろいろな家

低い精度で自動的に生成された説明

青木堰跡
二宮尊徳の主法

 

 

 

 

日 時 20231118日(土)8時半〜16時 晴 やや曇 無風

観察コース 環境科学センター→石切山脈→鏡ヶ池(源流)→青木堰跡→中村橋→有田十二所神社付近→地蔵橋(観音川合流)→椎尾調整池(昼食)→禊橋(鬼怒川だった跡)→つくばジオミュージアム(地域ジオパークを知ろう)→小田城歴史のひろば→土浦駅東口(低地に生まれた街 5人下車)→環境科学センター

講 師 矢野徳也先生(筑波山地域ジオパーク推進協議会教育・学術部会委員)

    日々桜川周辺で生活し、筑波山地域ジオパークを支え、今回は桜川の全てを案内し、桜川源流から霞ケ浦のバス旅行でした。

案 内 小幡和男先生(茨城県霞ケ浦環境科学センター 環境活動推進課)

集合場所・時間 茨城県霞ケ浦環境科学センターエントランスホール8時〜825

送迎バス 希望される方には土浦駅からの送迎を行います。土浦駅東口発8時(帰りは土浦駅東口1540分到着の予定) JR土浦駅登り1510分に乗れる

募集人数 20名(小学生以上、小学生の場合は保護者同伴) 数人不参加

     お子さん:小学生の兄弟、以下大人

     バスの運転手:桜川の土手まで入り、快適なドライブができました。

参加費 無料

持ち物 昼食、飲み物、帽子、雨具、汚れても構わない服装、筆記用具、保険証

以下省略

この観察会では、霞ヶ浦に注ぐ最大の河川桜川を、源流から下流までいっきに観察します。皆さんは、4万年前、鬼怒川が現在の桜川の下流部を流れていたことを知っていますか?このことを含めて、地形・地質の観点から桜川の特徴とその変遷を学びます。怖い鬼怒川の残してくれた力に感謝!

 

コース

 茨城県霞ヶ浦環境科学センターから常磐自動車道土浦北IC⇒友部JCT⇒笹間PA⇒笠間西IC=(国道50号)⇒稲田=(県道289)⇒石切山脈(車窓)=(県道289)⇒鏡ヶ池=(県道289257)⇒桜川磯部稲村神社・磯部桜川公園(車窓)=(国道50号)⇒岩瀬・県道41分岐=(国道50号)⇒桜川ロードパーク(休憩)=(国道50号戻り・鎌倉街道)⇒JR水戸線⇒青木堰跡⇒中村橋(白砂の川 車窓)⇒有田その1・有田その2(桜川の下に埋もれたもの!)⇒地蔵橋(観音川と桜川の合流 車窓)=(県道41)⇒つくし湖 椎尾調整池(昼食)⇒筑波山入口・禊橋つくばジオミュージアム(旧筑波東中学校 2023/11/3に開園)⇒小田城跡⇒土浦駅(5名下車)⇒茨城県霞ヶ浦環境科学センター

 土浦駅に迎えのバスは830、案内の小幡和男先生の宣言で全員バスに乗りこむ、まず常磐自動車土浦北ICからCJTから北関東自動車道に移りPAに立ち寄り、笠間西ICから石切山脈を目指す、仏頂山高峯雨巻山等に向かう路、石切山脈は車窓からで講師 矢野徳也先生のお話で石切山脈から採掘される白色が美しく丈夫、大きく切りだせて石材として優秀。鉱物粒子が大きいため風化草(まさ)が厚く発達している。

 

 

稲田石

笠間市稲田地区を中心に採掘される「稲田石)は、約6000万年前に地下深くでマグマが固まってできた花崗岩(かこうがん)の一種で、その際立った白さから別名「白い貴婦人」とも呼ばれています。

江戸時代から石材として利用されていた稲田石ですが、稲田地区で本格的な採石・加工が始まったのは1889(明治22)年。大消費地である東京に近く、良質な花崗岩を豊富に埋蔵していたことから、国会議事堂、最高裁判所、東京駅など、日本を代表する数々の建築物に稲田石が使用されました。また、県内では茨城県庁の庁舎や県民広場、市内では笠間稲荷神社門前通りの石畳などにも使用されています。美しい光沢と優れた耐久性を兼ね備えた稲田石は、時間による劣化が少ないことから、墓石や建築材、土木用材などあらゆる分野で幅広く使用され、日本の戦後復興と経済発展を支えてきただけではなく、大型石造物に適した石材として現在も人気を博しています。

 

 石切山脈は車窓から山の陰で良く見え無いがここは観光地化されており改めて来たい所です。余談ですが「モンブラン」が食べられるそうです。

 

 

桜川源流の鏡ヶ池

 石切山脈から狭い道路を進むと仏頂山の登山口楞厳寺への路の手前に鏡ヶ池がある(磯部桜川公園に向かう時に判明)。仏頂山や鍬柄峠の方向から鏡ヶ池に水が流れる様に見える。奈良駄峠を経て仏頂山や高峯・雨巻山の登山道もある。桜川の源流は高峰や仏頂山の水を集めているようですネ。

 

 今回の案内に笠間市と桜川市の境の鍬柄山・鍬柄峠が桜川の源流で、全山が花こう岩の山。この鏡ヶ池は鍬柄山のすぐ下にある古い溜池。そして年中絶えない池。鏡ケ池の由来はヤマトタケルが鏡代わりに池の水面に姿を映したという伝説や古歌に因むものとされているらしい。

 

 

鏡ケ池 今日は濁り鏡代わりになりませんネ!

 

左:鍬柄山から流れ出る湧水     右:道路から鏡ヶ池の道

 

 沢の奥に山道が薄く見付けるが、案内の小幡和男先生は約300b奥まで入り込んだようです。仏頂山登山口の楞厳寺経由コースを歩いてみたいが高齢者の私では無理ですね。ここは「仏頂山」を参照

 

 

講師 ご説明
全山が花こう山、鏡ヶ池が源流を貯める、花こう岩地は風化層や岩盤の割れ目に水を貯めることができ、
湧水は年中絶えない。白色が美しく丈夫な石材はこの風化層(まさ)の下に埋まっているそうです。
講師のカバンに見事な白い石・・・・重い

 

 バスは高峯ここ 山桜の里)を右に見て、高峯の山桜コースの入口(香取神社)を通過し、桜川磯部稲村神社を経て、「山桜」名札を車窓から数本見て、桜川市磯部桜川公園も車窓から眺める。

 

 桜川磯部稲村神社の参道は国指定天然記念物「桜川の桜」です、桜川市磯部桜川公園は並んで作られ、皆さんも1,2度お花見に行かれたと思います。私は高峯の山桜を見に毎年出かけます。高峯の桜と富士山の姿が見え、筑波連山もとても雄大で奇麗です。

 

 ここのアクセスは、桜川市磯部桜川公園にはつくバスと桜川市バス「ヤマザクラGOの二つを利用すると便利です、免許返納しても山桜を楽しめる。だが、桜川市磯部桜川公園の桜は山桜以外の園芸品種が多く、山桜は高峯の方がベスト、「ヤマザクラGOで行くと高峯までは岩瀬駅から徒歩となる、山桜の時期は「つくば市から平沢の高峯見晴デッキ」まで行けると便利ですね!

 筑波連山縦走路JR水戸線岩瀬駅から雨引山・燕山・加波山・筑波山を経て筑波山口まで続きますここです

 

 

青木堰防

 

 講師に方から桜川市磯部桜川公園の歴史をお聞きし、桜の木に付いた「山桜」を車窓から拝見し、国道50号に出て、JR岩瀬駅入口から筑波山の左側を南下する県道41の分岐(北上すると富谷山ふれあい公園)を過ぎ、桜川ロードパークに着き休憩。富士山や日光連邦が良く見える富谷山が見える所です。

 

 バスは岩瀬駅方向に戻って雨引観音へ行く県道41の手前(鎌倉街道)で桜川市役所に向かう、北関東自動車道とJR水戸線を見送り、二宮尊徳の顕彰碑を車窓から見て、桜川の青木堰跡に出る。ここはJR水戸線大和駅と桜川市役所の中間点で南に筑波山が、北に富谷山、右に日光の山々が見える所です。

 

青木堰 二宮尊徳の碑から

 

 講師から二宮尊徳の顕彰碑の側を通り「二宮尊徳の仕法」をお聞きする、桜川源流の鏡ヶ池は北に仏頂山や雨巻山と南に筑波山等に囲まれた山間部だったがJR岩瀬駅を過ぎ国道50号を南下すると桜川市の中心になる、広く美しい田園地帯です。お話によると江戸後期、青木村は農地が荒れ復興に招かれた二宮尊徳は農地の茅を刈り、屋根をふき替えて、荒地を立派な農地に開墾、青木村の北側の桜川に堤防を築き本体の工事を完成、青木堰と呼ばれている。この堰は水に強いケヤキ材が使われ1918(大正7)年の水害まで機能していたそうです。

 

 講師から現在の青木堰で説明を受け、10bほど下流の二宮尊徳の碑を確認、後方に富谷山の姿が美しく見えている。

 

中村橋 上流に白砂の流れる川

 

 桜川市役所付近で桜川を渡り、講師から下流より上流が良く見えると言われ、カメラを向ける。花こう岩が風化し真砂が流出した砂が桜川で運ばれて、このような光景になったようです。

 

 

有田その1 1/2

 

 大型バス、運転手さんの裁き、民家の屋根に直撃か、ブレーキがピッタリ効き、目的地の有田その1に難なく到着。ここは1,2度運転しても私は通過不能!

 

 

有田その1 22

 

 バスから降り、広大な広場を横切り、案内 小幡和男先生によるとここは個人の所有地という、とても広大!桜川の川底に岩が露出している、講師の熱の入ったご説明。この後のその2は徒歩で行けるが、今回の工程では全員バス。

 

 

有田その2 12

 

 その2も同じ大きな広場、同様に双耳の筑波山が見事。筑波山を雨引観音側の県道41から見る姿ここの桜川から見る姿は同じ方向だが、どちらも美しい、桜川の特徴がわかり、川の威力が身に染みる。講師・案内人の選択コースの大きさに感動!往復する場合は両方通過したい所です

 

 中村橋は南に観音川と桜川が合流する北側です、こちら側が押尾集落寄りの桜川の川底に岩が露出し大きな岩盤で、桜川の対岸は酒寄側の山を作っている花こう岩と同じものです。そのためこの地点より東側には浸食が進みにくい。同質のものが西側の筑西市宮山に小規模に露出している、このため、桜川の谷は筑西市宮山まで続いている。桜川の幅は長い・・・・。

 

 

有田その2 22
左:筑波山の双耳峰  右:有田十二所神社

 

 講師の説明の更にヒートアップしてくる、鬼怒川(龍王峡)と桜川の3万年前のお話でが私の頭に浮かばない鬼怒川

 

 日光連山の右に大きく見えている。話は日光から流れる鬼怒川と時々荒れる桜川の話題である。その中に観音川もでてくる。

 

 整理してみると:桜川は、桜川市山口の鏡ケ池(鍬柄山)に源を発し、筑波連山の西麓を南下、筑西市を経て、つくば市に入り北太田付近から流れを東よりに変え、土浦市で霞ヶ浦に流入する。 延長64`、流域面積350平方`。霞ヶ浦の流入河川では延長、流域面積とも最大。利根川水系の一級河川。筑波山をはじめ北側に連なる山々の西側斜面の多くの沢は、総じて桜川に流れ込む。支流には男女川(桜川市、つくば市=別々の川、みなみかわ)、山口川(桜川市)、逆川(つくば市) 二神川(桜川市)、大川(筑西市)、観音川(筑西市)、などがある。

 

 

 桜川の源流近く、桜川市に桜の名所「桜川の桜」(謡曲桜川の舞台)があり、この川の名前の由来となっている。

 古くから農業用水など、地元の人たちと深いつながりを持った川で、桜川市の青木地区(旧大和村)には、 周辺の田畑を潤すため二宮尊徳が造った青木堰がある。 このほか、桜川市に国松上大島堰、つくば市に井戸川堰、女堰、北条堰、土浦市には田土部堰がある。

 なお、茨城県水戸市にある桜川は、江戸時代、水戸藩2代藩主、水戸黄門で知られる徳川光圀公が、桜川の桜を移植した際、 この桜川にちなんで名づけられたもの

 

 講師の説明では:3万年前、ここは鬼怒川で南の桜川と観音川合流する辺りを流れていた、そして土浦・霞ケ浦を経て太平洋へ、このために桜川や霞ケ浦の地下に鬼怒川が運んだれきが多量に残されている。その後、鬼怒川が上流部で現在の鬼怒川・小貝川を経由する流路に変わってしまい、桜川は鬼怒川から切り離された。桜川の流れで鬼怒川の残した礫と桜川の砂が移動したが桜川の運ぶ花こう岩起源の粗い砂を流し去る力は失った。ここでは上側が現在までの桜川が運んだ砂と泥、下側は3万年前に鬼怒川の影響が少なくなった直後の桜川の推積物である。ここで見る黒い丸太のようなものは3万年前の流木の化石で木の葉や果実の化石が見られるようです。約32万年前は最も寒冷な時期で、関東地方でも北海道の山岳のような植生となっていた、ここで見られるのはその後の温暖期に向かう時期の推積物となっているとの事。

 

 有田十二所神社を見送り観音川を渡る茨城湖の先を左折、講師の説明の通りコンクリート(潟zクエツ)がある、敷地内に製品が山の様に積み上げられている、この辺はコンクリート製品工場が多い所だと言う。

 

 観音川が桜川に合流、地蔵橋です。観音川3万年前まで鬼怒川が削って作った地形で、広い谷幅は鬼怒川の大河が流れてことを示している。観音川の中に弧を描いたり曲がったり、くねったりした浅い低地が多数。これは鬼怒川が蛇行流で作った地形である。車窓からでお見せできる写真が写せませんでした。

 

 直進すると埴輪が道路に並んでいる、この辺の粘土で作るそうです、講師のお話によると一歩品400円程度から発売されているので、御用があれば問い合わせてくれとの事、桜川市観光協会のホームページも掲載されているので、チャンスを作りお店を訪れたいものです。現地の粘土が使用されているので桜川市の貴重な産地ですね!

 

つくし湖 椎尾調整池

 

 バスは岩瀬からの県道41に移り、左折、つくばりんりんロードを見て鴨亭を見送り薬王院方向に入り、ここに着き重い雰囲気で風も出てきた雨が何時落ちても不思議では無い、バスの外で日も当たらず寒い!機器や物の陰で弁当を開く、自動販売機も無い・・・。

 

 講師のお話によると、筑波山の下を横切ったため内部の地質が明らかにされ、山頂に見られる斑れい岩は山麓の標高まで分布し、それを花こう岩が取り巻きいていることが明らかになった。斑れい岩に花こう岩が貫いている様子が明らかになり、斑れい岩の方が古いことが観測された。トンネルから掘り出された排石は調整池の堤体に使われている。そして約30bの標高差を利用して、県西地域に配水されている。

 

 つくし湖は茨城の県西地域での農業用水不足を解消するために、霞ヶ浦から水を送る「霞ヶ浦用水」が整備され、霞ヶ浦から送られてきた水を、筑波山麓のため池「つくし湖」に貯めておきます。桜の季節には美しい風景となり、風の無い日には、筑波山が湖面に映り込む「逆さ筑波山」を見ることができます。今回は公園に入り昼食・休憩・トイレをご利用する。ただし、このトイレにはトイレットペイパーは以前から用意されていない、観察会には有無を言わずご自分で!

 

 

左:禊橋(みそぎばし)の駐車場      右:有田違う角度

 

 つくし湖から県道41に出て南下、県道41は県道14に合流し、14号が県道42214号と合流、42号は筑波山神社方面、14号は土浦へ、禊橋は県道214のスタート点、禊橋をわたり、直ぐに左の土手に入り。ここが禊橋の駐車場広場です。バスを降りると正面に筑波山、有田で見た姿と変わり奇麗で雄大です。

 

 

左:禊橋の真下を進む      右:鬼怒川が運んだ硬い小石

 

 禊橋は付近では北条用水(裏掘)の堰に降りると、れきの河原が出現する、堰の運用時は水深が深く危険、堰付近に寄らない。今回は雨の直ぐ後で足元に注意。講師のお話が鬼怒川の存在が中心です。れきはいずれも丸み、硬質、大きさもそろっている。これは遠くから運ばれたことを示している。

 また、筑波山周辺に分布する花こう岩、斑れい岩、変成岩はたいへん少ない。れきは、安山岩や流紋岩、デイサイト、ひん岩、石英斑岩、溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)といった火山稼働に関するもので筑波山周辺にない岩石ばかり、これらは、鬼怒川が筑波山の南を流れていたころ運んだものです。3万年以上の古い鬼怒川の堆積物は多少突いてもわれない地層で固まっている、禊橋付近から東側では桜川低地の地下に埋もれており、小田〜穴塚付近では少し高くなっているとのことです(地図で確認すると鬼怒川が昔流れた跡のようです 穴塚大池)。

 

 

左:禊橋は注意      右:地層

 

 バスは県道14に戻り、左に筑波山を眺め、国道125号に北条大池から徒歩15分の筑波東中学校の後に作られたつくばジオミュージアム筑波山地域ジオパークも有る)に向かう。2023/11/3に開館したばかり。筑波山地域ジオパークの紹介資料も置かれている。今回の講師 矢野徳也先生(筑波山地域ジオパーク推進協議会教育・学術部会委員)のご活躍事業です。

 

 子供たちの学習に対応したハンズオン展示(触れて学ぶ展示)や様々な資料、地域の埋蔵文化財の展示、体験学習や講演にも使用できる空間や設備を備えている。

 ただ、自動でも訪問は便利だが、子供たちが遠方からは無理。隣接するつくば霞ヶ浦りんりんロードからは近くて行きやすい。

 

筑波山ゲートパーク

筑波山ゲートパークは、「ジオパーク」と「自転車」2つの切り口から、筑波山のさらなる魅力を発見する入口(ゲート)となることを期待して名付けられた、「つくばジオミュージアム」と「サイクルパークつくば」からなる複合施設です。筑波山地域の自然を感じながら、世代を超えて多様な人たちが楽しめる交流の場となり、訪れる人々に愛される施設になることを願っています。ここを拠点として、周辺地域に新たな活力と賑わいが生まれます。

自動車では簡単に行けますが:

つくば駅・つくばセンターからバスでお越しの方

・つくバス北部シャトル:つくば駅・つくばセンター〜筑波交流センター(約40分)〜徒歩20

・つくバス小田シャトル:つくば駅・つくばセンター〜大池・平沢官衙入口(約45分)〜徒歩15

土浦駅からバスでお越しの方

・関鉄鉄道バス(筑波山口行、下妻駅行):土浦駅〜北条駅入口(約40分)〜徒歩10

 

サイクルパークつくば

国内最大級のBMXレーシングコースを備えた自転車施設が筑波山に誕生!シャワー室、休憩スペース、整備スペースも完備。レンタサイクルもあるので、隣接するつくば霞ヶ浦りんりんロードや筑波山麓の美しい田園風景をお楽しみいただけます。

開場時間 午前9時〜午後430

休場日 毎週火曜日〜木曜日(祝日の場合は基本的に振替営業を実施)、年末年始(1229日から13)

入場料 無料

BMXレーシングコースやレンタサイクル等の一部施設は有料です。

詳細 日程・料金などつくば市ホームページのサイクルパークつくばを参照

 

 つくばジオミュージアムからバスで約10分、小田城址へ向かう。つくば霞ヶ浦りんりんロードが通り、筑波山が大きく見え、宝篋山は右に並んでいる。

 

 講師の案内でつくば霞ヶ浦りんりんロードが通過した遺構展示室(トイレあり)を抜け、西掘の内側を進み、西池・南西虎方面へ、説明するのに一番の所だ、雄大に筑波山が見え、右に宝篋山の姿が見える。小田城址が一望できる。

 

 最近まで、筑波鉄道の線路が本丸の南東部から北西隅にかけて斜めに横切って入口の遺構展示室を通過したそうですが、筑波鉄道廃線後に路線の跡地がつくばりんりんロードとして整備される際、小田城本丸を横断する部分は、本丸土塁外側の南から西を周って迂回するコースに変更された。土塁北西隅部の線路跡は切通しとして残され、小田城歴史ひろば案内所から本丸を見学する際の誘導路および土塁の断面の展示として利用されている。講師の方も筑波鉄道が小田城を横切っていたのには驚いていたらしい、私もこの事をしり驚いたものです。

 

 細かい事はパンフレットが詳しく掲載しているので資料を案内所で頂いください、アクセスはつくばジオミュージアムとほぼ同じです、宝篋山登山の帰りにお寄りになる人が多いそうです。案内所には地元の人に人気があり、りんりんロードのお客さんをお向かいしてくれる、正面に見える筑波山がとても奇麗です。

 

 小田城は鎌倉時代から戦国時代にかけ約40015代にわたって小田氏の居城となっている。問題はこの低い土地が城になったのか、桜川の増水では水没はしない。表面には赤土(関東ローム層)が乗るれっきとした土地、鬼怒川が作った土地、ローム層は水はけがよい、鬼怒川が3万年以前に作った段丘地形です。この城はわずかな高い土地に建ち、背後の山の守りになった。小田の南側の低地は洪水時に水の貯める遊水池となり、下流の洪水被害を軽減させている。

 

 小田城址の次はJR土浦駅東口、最後は土浦ニューウェイで市内を見て駅に、私を含め5人が下車、今回の予定では土浦駅東口1540分到着の予定で結果的にJR土浦駅登り1510分に乗れました。長時間バスの旅関係者の皆様に感謝!

 

 土浦駅からは「土浦市街(低地に生まれた街)」の概要、桜川と恋瀬川の話題、鬼怒川の有無の差で話題になったことでしょう。土浦市は高層建築が鬼怒川が作った地層のお陰で都市化が進んだようです。

HP:わたしの天気予報