2015 第7回霞ヶ浦自然観察会 「鬼怒川・常総の大河の物語」

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清滝香取両神社(守谷市坂戸井)

 

 

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常総市の崩壊現場

20125年11月15(土)晴れ 第7回 霞ヶ浦自然観察会「鬼怒川・常総の大河の物語」

 

    2025(令和7)年1115日(土) 830分〜116時 雨天中止

観察コース

環境科学センター→土浦北IC守谷市板戸井の河道開削部・清滝香取神社・滝下橋 → つくばみらい市寺畑の旧鬼怒川と小貝川合流部 ・伊奈橋付近常総市役所(常総市水海道諏訪町)→ 常総市小山戸町の河畔砂丘(常総市小山戸町) →上三坂公民館付近(常総市三坂町の水害跡)→ 常総市若宮戸の河畔砂丘(常総市若宮戸) → 下妻市鬼怒の蛇行河道跡 ・ほっとランドきぬ(下妻市鬼怒 昼食)→ 下妻市下妻の砂沼 → 八千代町新井の蛇行河道跡→ 筑西市関本の三所線跡(筑西市関本肥土) → 筑西市 川島の河川礫(筑西市下川島) →道の駅 しもつま→高木川西交差点(イオンモール下妻)→ 土浦駅東口 → 環境科学センター※この観察会は、参加者全員霞ケ浦環境科学センターのバスに乗車して現地の観察を行います。

コースは 当日の天候や交通事情等により、若干変更する場合があります。

講  師  矢野徳也先生(筑波山地域ジオパーク認定ジオガイド)

集合場所・時間 茨城県霞ケ浦環境科学センターエントランスホール 8時〜825

送迎バス 希望される方には土浦駅からの送迎を行います。 土浦駅東口発 8時 (帰りは土浦駅東口1540分到着の予定)

募集人数 25名(小学4年生以上、小学生の場合は保護者同伴)

参 加 費 無料

集合場所 茨城県霞ケ浦環境科学センター(土浦駅東口までの送迎あり)

募集人数  25名(小学4年生以上、小学生の場合は保護者同伴)

 <今回のマップ概要>

マップ

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 山の景色

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関東・東北豪雨

** 2015/9/12 筑波山から堤防決壊現場を遠望 平成279月 関東・東北豪雨 **

関東・東北豪雨

台風第 18 号や前線及び台風から変わった低気圧に向かって南から湿った空気が流れ込んだ影響で、西日本から北日本にかけて広い範囲で大雨となり、97日から911日までに観測された総降水量は、栃木県日光市今市で647.5ミリ、宮城県丸森町筆甫で536.0ミリを観測するなど、関東地方で600ミリ、東北地方で500ミリを超え、9月の月降水量平年値の2倍を超える大雨となったところがあった。特に、910日から11日にかけて、栃木県日光市今市や茨城県古河市古河、宮城県仙台市泉区泉ケ岳など関東地方や東北地方では、統計期間が10年以上の観測地点のうち16地点で、最大24時間降水量が観測史上1位の値を更新するなど、栃木県や茨城県、福島県、宮城県では記録的な大雨となった。

この大雨により、関東地方や東北地方を中心に、洪水やがけ崩れ等による被害が相次いで発生した。

 

 

JR常磐線土浦駅発8:00送迎バスに乗る、6名、茨城県霞ヶ浦環境科学センターへ、定員20名が集合、予定通り8:30にスタート、常磐自動車道土浦北ICから谷和原ICに乗る、清滝香取神社へ向かいます、ここから矢野徳也先生のガイドが最後まで続きます、先生にはつくば周辺のガイドを何度のお聞きしており、楽しみです!

国道294号新守谷から右折、常磐自動車から見える滝下橋を渡ると左側に清滝香取神社の広い駐車場に入ります、一度だけ滝下橋を通過した事が有ります、漬物石を鬼怒川に有るだろうと、ここは深く掘り開拓した深い堀割りで川底には石は運び出され無くなった様です(笑)

この辺りは宿場で当時は舟で渡り賑わった様です。

 

 

左:清滝香取神社 右:神社の先に立派な土手

 

 土手の右方向は広い田んぼ、ここは小貝川・鬼怒川を分離させ開拓したが小貝川が氾濫した場合は埋まってしまう土地で、10年前の常総市の洪水では大きな被害を受けたそうです、小貝川は見えませんが遠望の林が関東鉄道常総線と国道294号が走っています。

 土手の左は鬼怒川の幅で短く深く掘られています、滝下橋から10`ほど下流で常磐自動車やTXの利根川橋が有る所です。

 利根川・鬼怒川・小貝川が合流していた所で、恐ろしい場所だった所です。地図を広げると守谷市・谷和原IC常磐自動車・TXが集まり期待される地になっています。

 

 

左:滝下橋         右:遠望の林 関東鉄道常総線と国道294号

 

鬼怒川からの山道

 

 鳥居の表が鬼怒川川岸、昔の参道は川岸だったことがわかる。

 

 次は国道294号を北上し関東鉄道常総線小絹駅の近くで右折、鬼怒川と小貝川の合流地点西の台団地へ向かう、1629(寛永6)年の井戸田と羽根野の合流で掘削し鬼怒川と小貝川に直接合流させた、瀬間道を進むと奥まった地点で降り、矢野先生が大きな石碑の前で説明が説明を始める、ここに四ケ字水樋官を通じ小貝川に鬼怒川の水が抜けたそうです。石碑には昭和2年文字が読め、堰の立った年の様です。

 

石碑

 

左:伊那橋       右:四ケ字水樋官

 

 場所は関東鉄道常総線の小絹駅と県道3号(谷原大橋 筑波ゴルフ倶楽部と野田市を結ぶ路で良く利用されている 天然温泉きぬの湯)の北で徒歩ではちょっと無理かも?

 

 次が常総市役所、茨城県常総市水海道諏訪町3222番地3 п@0297-23-2111 関東鉄道常総線の水海道駅が近い

 常総市役所つくば市からは常磐自動車谷田部IC経由で国道354号を走ると、福岡堰桜公園を経て小貝川を渡り国道294号の交差点を左折、国道354号の交差点を右折、関東鉄道常総線を超えると常総市役所です。

2015年浸水面積4,000fの被害にあう、浸水回復10日、死者2名、重軽傷29名、救助4,300人・・・・ 

 

 

左:人の方まで浸水 右:正門

制作者 常総市役所もご案内

 

 

 次は小山戸砂丘(県道357号)鬼怒川曲流部の内側(東側)に生じた湖畔砂丘、河川敷の砂永冬の北西寄りの季節風で吹き上げられて蓄積した。河床の砂より細粒の堆積物を掘って見よう・・・・・・

常総市立水海道中学校を右に回り込むと水海道第六保育所が左に、鬼怒川に架かる有料道路(国道354号 岩井水海道バイパス 水海道大橋)を見上げ鬼怒川の手前でサイクリングロードに入る。

 

 

左:サイクリングロード 高砂製紙株式 右:サイクリングロードを進むと砂丘の雰囲

 

小山戸砂丘

 

 矢野先生が持ち込んだ器を取り出す、砂のサンプルで足元の砂と比べる・・・・・・参加者が足元の砂を掘り起こす風に吹き上げられた砂永確認・・・・・河川改修で一部の地形が失われたが、保存がされている。河川側が緩傾斜で後背湿地側が急傾斜なのが、風成の河畔砂丘の特徴です。砂丘の尾根にあがって見ると、川側と反対側の傾斜が砂丘の特徴ですね!

 

 さて今度は上川坂公民館(県道357号)へ、鬼怒川堤防「決壊の跡」が置かれている

2015年9月10日に発生した堤防決壊場所、決壊の碑が建てられている、決壊のポンポイントはやや上流の位置になる、ここはやや広い位置です。

2015年9月10〜11日の豪雨は鬼怒川流域を中心に24時間に551_(日光市五十里)を記録するなど累積雨量は600_、当時16地点で観測史上最多の24時間雨量を記録。

鬼怒川は関東平野東部を北から南に流れ、利根川に合流する一級河川です。多量の水が鬼怒川に流れだし、中三坂の決壊・若宮戸・ほか4ヶ所。中三坂では決壊現場から多量の土砂を伴って流出し最大69aの暑さに推堰した。石下の市街地を作る微高地なども同様の成因で形成されている。

 戦後の私は知りませんが!江戸時代以前、鬼怒川は常陸川などと共に香取海(太平洋に銚子でつながる内海)へ注ぐ鬼怒川水系の本流であったが、利根川が東遷されそれまでの常陸川の河道および太平洋までを流れることになったに伴い、鬼怒川も利根川に注ぐ支流河川とされた名称は、当初は毛野国(栃木県・群馬県域の古地名)を流れる川として「毛野川(毛野河)」と記されたが、中世から近世には「衣川(衣河)」「絹川(絹河)」の字があてられ、明治初期から「鬼怒川」の文字があてられるようになった。

 荒れる鬼怒川にだが!鬼怒川水系の豊富で上質な水は栃木県の県都宇都宮市ほか諸都市の水源となっており、上水・灌漑用水として利用され、市民の都市生活および流域の米産やほか農業や工業にも広く利用されている。宇都宮市で盛んな飲料製造業は鬼怒川の清水に拠るものである。

登山の好き鬼怒沼湿原 鬼怒沼山龍王峡から川治湯元縦走 紅葉狩り・・・などお勧めです

 

 

決壊の碑

 

 

決壊の碑 筑波山と広大な鬼怒川・・水の流れは草林の中

 

 

決壊のポイント

 

 次は若宮戸砂丘(県道357号)へ、土浦境線を通過、石下橋を左に見て進む、十一面山として知られている、砂丘上に.建てられた戦没者慰霊塔が建ってよく目立つが、3列の砂丘列があり、周囲の台地(標高22〜25a)より高い32.25の標高が有った砂取りにより砂丘の多くが失われた。

この砂丘にはアカマツ激減、ハマエンドウなどの珍しい植物も失われた!

 

 

戦没者慰霊塔

 

 

左:残されたハマエンドウ       右:十一面山の道標

 

  

左:水害復興の碑    右:砂の参道 砂で作られているとのこと!

水害現場を離れほっとランド鬼怒(県道357号)へ、右に鹿島神社・左に若宮戸排水樋官があり、ここで鬼怒川堤防を終えて引返す人が多いようです。

私達は更に自然観察を続け、つくば古河線(大形橋)に入り、大きな公園に入る。

ほっとランド鬼怒  昼食

 

 大きな池の「ほっとランド・きぬ」を歩くと広く楽しめるが昼食時間のみでした。

 平安時代に松まで鎌底の曲流部には小貝川の流路があったが中世には小貝川と分離され鬼怒川河道となっていた、曲流部が水害の原因になっており、1935(昭和10)年に直線水路が掘削されて、旧水路が水田化、現在は住宅や施設地になっている

 

 今度は国道125号、砂沼(砂沼公園入口から 砂沼サンビーチ)

今回は南端に立ち寄り

 

  

砂沼 

 

 砂沼は一周6`、約1時間の遊歩道、サンビーチは2019年からお休み、中央にY字橋全長365bがある。

 ここは鬼怒川が運ぶ多量の土砂で出口がふさがれ形成された湖沼群で牛久沼も同様です。江戸時代に農業水源として溜池化。栃木県二宮町上江連から取水する江連用水を砂沼に接続、下流の八間用水への用水ともなり、農地を耕している。

 

 続いて川西地区運動公園広場(八千白町新井 鬼怒川の洪水問題地)へ

 

 

川西地区運動公園広場 駐車場

 

 砂沼をでてまもなく畑に囲まれた細長い水田が続く道に入る、奈良時代までの鬼怒川水路跡だそうです768(神護景雲2)年下郷国から川を新しく掘り洪水を防ぎたいと願うが7年たってもできない。常盤国は反対している、洪水が起きると荒廃する下郷国訴えた、大政管は両国に命じて毛野川(鬼怒川)を掘らせた。水路は変わったが国境は旧川で変えないこととした(続日本記)。鬼怒川周辺は今も昔も洪水などの争いは続くのですね!

 旧流路では水田下での砂利が採取されている。採取は短期間で終わり、埋め戻され水田に戻される。大きな釣堀は採掘跡の窪地を活用したものです。

 

 次は関本の三所線跡(関東鉄道情報戦 大田郷駅〜三所駅 県道23号鬼怒川大橋)へ、ここは車窓からでした。三所線跡の詳細

鬼怒川河川敷の砂利を運搬するために1923(大正12)年に運行、1927(昭和2)年に常総鉄道鬼怒川線として太田郷〜山所間で旅客扱いを開始。筑波常総鉄道(現行の関東鉄道)を経て1957(昭和32)年関本から三所廃止して貨物線化。1964(昭和39)年は廃止

関東大震災後は復興資材としての砂利の価値が高まり。各地に砂利運搬線が敷説された。鬼怒川の河川敷から採取した砂利を貨物に積んで輸送。以後トラック輸送が主となり鉄道は廃止になる。水戸線川島駅からも河川敷の砂利を運搬する貨物線が行われ、1970年代には水戸線から電気機関車が入線して運送していた。

日本コンクリート川島工場川島セメントヤードへの専用線としてその後も使用されたが1997年に廃止されました。

 

 次は国道50号にでて新川島橋(2023年5月27日4車線)へ、川島橋は閉鎖、国道50号も新しくバイパスされる。

駐車場から鬼怒川の土手に上がると水郡線が川島駅から東結城駅方面に向かって走るのが見える、鬼怒川橋粱(水戸線)は林で見えない、車両は常磐線と同じカラーです。

 

 

左:林を抜ける       右:川島橋

 

 林を抜けると鬼怒川の下流方向に川島橋が見える、直ぐに新川島橋の下に着く。

 

 

左:新川島橋       右:先生の石の説明が始まる

 

 ここには八溝山や筑波山周辺の岩石は含まれず、奥鬼怒・日光、鬼怒沼山、足尾方面の岩石が多い、大きく分けるとそれぞれの特徴があり見分けることが出来るらしい、先生はこれは、どこから流れて来たか見分けられる・・・・・確かに手元の先生が造ったくれた写真を見ると良く解るが足元に目を向けると解らない・・・・

鬼怒川の水源地や川の歴史が読め、鬼怒川の歴史さ読めるそうです!

 

 

新川島橋の川底

 

 駐車場に戻る、鬼怒川・小貝川・利根川の合流点から常総の水害地、鎌状の流れの変更、残った砂沼、奈良時代の流路変更の争い・・・・そして砂利の運送に使われた交通機関・・・水害との闘い、農業開発、土地の争い、砂利を生んだ・・・・最後に鬼怒川の歴史を知って楽しい観察会でした

 

 帰りは道の駅しもつまで休憩、途中小幡先生の自宅近くに三所線関本駅跡があるので寄って見た。

 運転手さんら道沿いには距離標(キロポスト)を発見し、全員降りて観察。

常総筑波鉄道鬼怒川線を訪ねて よると「二分の一、四、と刻まれる。4.5q地点を示していると考えて間違いなさそうだ、続く江連用水には道路橋が新設され、鉄道橋時代の痕跡は見当たらない。この西側に関本が置かれ、晩年は砂利の積み込み拠点となっていたため、構内の広がりを示すような側道が隣接する。駅を出て数軒の民家を過ぎると、目の前に水田が広がる。やはり旧来の地割を生かした圃場整備がなされ、この中に線路跡の水路転用も確認できる。用地幅はかなり削られているが、当時のカーブに沿って緩やかな曲線を描いている。・・・・」

以下、距離標(キロポスト)で、常総筑波鉄道鬼怒川線を訪ねてと同じかもしれません!

屋外, 草, 電車, 跡 が含まれている画像

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距離標

      

距離標

 ここから道の駅しもつままで約30分、トイレ休憩で、イオンモール下妻から国道125号に乗れば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土浦駅・茨城県霞ヶ浦環境科学センターは近い

常総線(三所線)

常総線(三所線)(関東鉄道情報戦太田原から三所駅まで

大田郷駅→常総関本駅→三所駅→鬼怒川砂利専用線

大田郷駅から西側の鬼怒川東岸の河原へと延びていた路線で、鬼怒川で採取される砂利の輸送を目的に、舘野平作が創設した鬼怒川砂利合資会社が運営する専用線として1923年(大正12年)に開業した。その後、路線の大部分が1927年(昭和2年)に常総鉄道に買収されて地方鉄道となり、当時の関本町(のちの関城町)町内に常総関本駅と三所駅を新設し、全線で旅客営業を開始した。

しかし、元が専用線であるため集落の中心部から離れており、戦後になり関本町内で道路が整備されバス路線が開通すると利用客が激減した。それに加えて路線終端部の鬼怒川河川敷の砂利が枯渇したため、1957年(昭和32年)に常総関本 - 三所間を廃止し、同時に全線の旅客営業を廃止した。その後は常総関本駅から約10km離れた鬼怒川上流で採取した砂利をダンプカーで常総関本駅まで運び、列車に積み換えて輸送する形態をとる貨物線として営業を続けたが、営業成績が悪化し(1962年度の営業係数は660に達していた、1964年(昭和39年)に全線が廃止された。

社内では「キヌ線」と呼ばれていた。

 

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