2015/3/4  偕楽園(水戸の梅まつり 期間:220日〜331
「好文亭」に立ち寄ろう

日程:201534日 (水)雨後晴れ

 
左:千波湖公園から偕楽園(好文亭が見える)                                              右:好文亭

偕楽園の梅まつり、東日本大震災の前週2011/3/6に訪れた、その後(2013/3/10)が観梅の楽しむ人が震災前以上に戻って来た、同時に筑波山も震災で観梅や登山者の足が遠くなったが、年々増加し週末は登山者で女体山山頂は満席です、筑波山梅林:2013/3/62012/3/12の海楽園と同じ時期に梅まつりが行われている。

4日は昼前から晴れるとの天気予報で、7:00 つくば市を出た時は本降り、国道6号土浦バイパスで通勤ラッシュ、交通情報では石岡市内は混んでと言うがスムーズに通過、そして小美玉を走り、国道6号から茨城町でR50に入り茨城県庁を右に見てサントル千波交差点で国道50号バイパスを横切って、千波湖入口を右折、直ぐに駐車場は有料、ここは無視、千波公園・茨城県近代美術館間の無料駐車場に停める、千波湖湖岸を好文茶屋方向戻って、この茶屋を過ぎると偕楽橋が観梅に人々を偕楽園に誘いこんでいる、無料駐車場からここまで数分です。

 
左:世界第2位の都市公園                            右:偕楽園駅(梅まつりのみ開業)

千波湖と梅まつりが始まった偕楽園を含め都市公園としてニューヨークのセントラルパークに次いで世界第2位の広さだそうです。偕楽橋から都市公園を一望し、眼下に偕楽園駅を見下ろす。この偕楽園駅に関しては「水戸の梅まつり開催に伴う偕楽園臨時駅の開設等、、、」としてJR水戸支店から発表される、2015年では2/213/29間の土日祝日(21日春分の日)9:10から15:303/14以降は運がよければ上野東京ラインをへて品川・東京駅から乗り換え無しで偕楽園駅に来れとのこと。

 
左:偕楽橋終点     右:偕楽園東門

千波湖方面からは偕楽橋を利用し、偕楽園駅からは広い階段を上がって、ここ東門前に着く、名物水戸納豆などのお土産店が並んでいる、雨は千波湖に着いて時は小降り、今は止み明るくなってくる。

 
左:烈公梅(れっこうばい)東門から一番近い                         右:白難波(しろなにわ) 御成門に近い

水戸の六名木:「烈公梅、白難波、虎の尾、月影、江南所無、柳川しだれ」、花の形・香り・色など特に優れた6品種を選び「水戸の六名木」と呼んでいる、六角形の柵で囲まれている梅の木です、偕楽園ガイドを手にし、観梅開始、ここで助けてくれるガイド「歴史アドバイザー水戸」さん、ガイド料無料で園内をお客の許される時間内で案内してくれる、ガイドさんの個人的努力で集めた写真や資料を使って独自の手法で約3040分で見所場所を回ってくれる、そして最後は好文亭の前で内部の見所を説明してガイドは終わる。

曇り空、梅の写真は難しい、まずは一人で園内を一周する。

 
左:櫟門(くぬぎもん)               右:吐玉泉(とぎょくせん)

大きなヤマザクラの下から好文亭を眺め、櫟門を潜り、JR常盤線の見える方に下る、この辺の梅が今一番見頃、正岡子規の句碑が斜面に置かれ、まもなく南門、桜山方面で徳川ミュージアムへ向かう梅桜橋、沼が広がり美しい散歩道、奥には西門がある。

偕楽園桜山2/3から梅桜橋(エレベータ付き横断歩道)を渡って入園する人も多い、のんびりと階段を上がると吐玉泉の前に着く、このあたりは昔から湧水の多かったところで、斉昭は偕楽園造成に当たり地形の高度差を利用して集水し、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設置しました。この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室何陋庵の茶の湯にも供されました。泉石は常陸太田市真弓山の大理石で、寒水石ともいいます。現在の泉石は四代目で、昭和62年(1987年)12月に更新したものです。

栃木の小山からバスツアーで来られた二人のご婦人は、泉石に驚き、さらに驚くのは太郎杉と台風で倒された次郎杉の古株、二つの杉の間の斜面に大木のヤブツバキも素晴らしい。

 
左:太郎杉                  右:一の木戸

梅林側を陽とすればここは陰の世界、一の木戸を抜けると陰から陽の世界、大杉の森から好文亭表門側に飛び出ることになる。

一の木戸には門番がおり、斉昭に偕楽園入園の規則を守っていたそうです:@入園時間は午前6時から午後10時 A男女は別々に入園し風紀を荒らさない B飲酒や大騒ぎを禁止 C梅の枝や実をとらない D病気の者意外は籠に乗ってはならない E漁猟を禁止
   
偕楽園本園及び歴史館の区域: 午前6時から午後7時まで(2/209/30)、午前7時から午後6時まで(10/12/19
   
好文亭: 午前9時から午後5時まで(2/209/30)午前9時から午後430分まで(10/12/19

 
左:好文亭表門                 右:ハギの垣根

好文亭表門から右の竹林を見て秋にハギを刈り取って作った垣根を見て、オカメザサにクマザサを林の終点に中門、この門を抜けると急に明るく開け、好文亭の玄関に到着。

 
左:中門                            右:自作の案内マニアルを作成し、ガイドしてくれる!

陰から陽へ、曇り空は雲から青空が広がってくる、東門のガイド受付に向かい、申し込むと運良く、懐古園で梅を楽しみ、明日は河津サクラを予定する男女三人(女性二人男性一人)の関西か来られ人たちと同じ組で、長年ガイドを行っている方に案内していただく、早速自己紹介と懐古園の歴史を説明してくれる。

   
左:碁や将棋を楽しんだ場所 碁盤                                    右:見晴広場

「偕楽園記」には、陰陽の調和を図ることを「一張一弛」(弓を張ったり、ゆるめたりすること)を例に示し、勤労と休息の適切さが治世の要点であることを強調しています。 広くのどかな偕楽園で、忙しい日常を忘れ、ゆったりとした時間を過ごしてください。とガイドさんが力説。


偕楽園中央に位置し大木のヤマザクラと好文亭 4月初旬見頃

ガイドさんの写真集のヤマザクラは4/5に移しており立派、尚、好文亭手前のツツジは5/5とのことで、見せてくれる、桜の頃、ツツジの頃そしてハギの頃、さらにガイドさんの写真集には雪景色、まるで満開の梅林であり、今日以上の美しさ!つくば市から約時間半県庁の水戸に来る機会が増えてしまった。追記だが藤も立派です。


四季を通じ美しい

 
左:水戸の梅大使記念撮影                   右:2013/3/10の水戸の梅大使 

ガイドさん「彼女らは水戸の梅大使、梅娘さんではありません」とご紹介、入園した時間9時頃に彼女らの前を通過、今は11時だから、笑顔で2時間立ち続けて大変な梅大使さん、私の記念撮影、大使は背が高く囲まれてしまった(^^

  
左:好文亭の前で解散                                    右:ハギ 秋の萩

好文亭の前で関西の方々と解散、この後梅林の方をガイドしてくれるそうですが、別のガイドさんが、年配の女性二人と同組で、梅林のガイドをお願いする、名刺を最後に頂いたが市民観光ボランテイア「歴史アドバイザー水戸」村田さん、自宅の連絡先も記されている。

ガイドさんによると、ハギは写真のよいに毎年刈り取られ、垣根に使われるここで知る。

 
左:虎の尾                                 右:観梅の楽しみ方を伝授
虎の尾(六角形の脇)は好文亭表門に近いが、烈公梅の近くに同じ種の木がある

早速 梅の説明に入る、一本目は虎の尾、今が見頃、早咲き・中咲き・遅咲きとあって、ここ偕楽園のパンフレットの満開の写真は10日ほど後とか、何度の訪れ楽しめるように植えられている、、、。まず村田さんの説明を聞き撮影は解散後と決める。なんでも一日6組みを案内する、忙しい日にはガイドさんが不足するそうです。

  
左:好文亭表門の家紋         右:オカメザサ、クマザサ
好文亭表門⇒孟宗竹林⇒吐玉泉と回り好文亭を見学し、梅林(陰から陽へルート)

陽の世界から陰の世界の入口を説明、表門から一の木戸を抜けると孟宗竹林、大卜の杉、クマザサ、、が茂る、そんな陰の世界。吐玉泉には時間的に無理で一の木戸から陰の世界を覗き好文亭へ、。、そしてハギで作った垣根を見て中門を抜けると陽の世界。

ガイドは好文亭の説明が最後で村田さんの案内はここで終了。

以下、好文亭の様子です

奥御殿10室からなる質素な平屋造り、藩主夫人などの休養の場で、城中で出火した場合の備えとも言われる、各部屋名に襖絵(ふすまえ)は、東京芸大の須田・田中先生の作です。

 
左:菊の間                                           右:桃の間

菊の間と桃の間は、総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された。

 
左:紅葉の間                                          右:松の間

松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側(いりかわ)をもって隔ててある。紅葉の間は控えの間でした。


中庭

 
左:竹の間                    右:梅の間

竹の間、梅の間、清の間(せいのま)の三室の一棟は、明治二年に水戸市柵町にあった中御殿の一部材料を運び奥殿に増築したもの。屋根は柿葺(こけらぶき)である。斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた(その後は東京に移られた)。自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている。

 
左:桜の間                     右:中庭

つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人たちの詰め所、休憩室として使用された。

奥御殿から太鼓橋廊下を通り、華燈口(かとうぐち)、東塗縁(ひがしぬりえん)広間、御座の間、西塗縁(ひがしぬりえん)広間と続く。

 
左:中庭                        右:華燈口

華燈口:奥殿から茶室へ通る2畳の小室。中に小坊主が控えていて、奥と茶の席との連絡にあたった。上方がアーチ状で狭く、下方は広く開いた形をしている。室内の杉戸には古今集の和歌が華麗な色紙・短冊に書かれてありましたが火災により損傷した。原画は藩医小松玄甫、復元は東京芸術大学の先生があたった

 
左:一日中座っていたい!                          右:待合室 連絡路

奥御殿を結ぶ連絡路。好文亭の通路はとても狭く作られている。これは武器を持った敵が乱入した際、その動きを制限するねらいがあったとされている。廊下の左側に篠で作った格子窓があります。外からは窓であることが判らないように工夫されている。

 
中庭

 
東・西塗縁広間

列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。杉板のアジロ張り天井にも注目。東西3間、南北6間の塗縁の大広間。北側と西側各2枚の杉戸には作詞作歌に便するため、四声類別表-平仄(ひょうそく)が書かれている。揮毫は名越敏樹、松延道園の両氏、復元は諸橋轍次氏とされている。天井は杉皮網代張り、ここで文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画を揮毫した。障子の白色と、総板縁の黒色と、庭園の緑が見事な調和をみせる。

 
富士山が見える方向?

階段が急です! 上り下りには十分お気をつけ下さい。お城の天守閣に上るような感じの急な階段。急な階段は、不意の敵襲に備えたもの。左手には「武者控室」、右手には敵を封じる攻撃用「隠れ室?」がある。

 
左:裏庭?                        右:露地門 奥が待合(まちあい)

待合(まちあい):茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所。間口9尺(2.7m)、奥行6尺(1.8m)、屋根はチガヤ葺き(チガヤブキ)。総体くぬぎの丸太作りで、三方は壁、内側に腰掛けがある。壁に四角と丸の額が計三つ掲げられている。
七曲がり坂を登ったところにある。

露地門:日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる門。何気ない風情と穏やかな佇まいに魅せられる。現在は解放されていない門であるが、昔はこの露地門をくぐり待合に入った。

 
好文亭の入口

好文亭に入場したらまずは好文亭見取図が記されているパンフレット(日本語、英語、中国語、、、)を手にしよう、出る時に存在を知り後悔。

*斉昭に創意工夫@配膳用昇降機(エレベータ)A回転式雨戸 眺望を妨げる戸袋はない B辞書代はりの板戸 漢詩を作る時のために、8千の韻字が西塗縁の4枚の板戸に書かれている

好文亭を出て、再び梅林へ

 
見晴広場の南側が見頃になっている

 
清陰幽邃(せいいんゆうすい)と眺望の小径(メインコース)

 
清陰幽邃(せいいんゆうすい)と眺望の小径(メインコース)

 
左:月影  園内に数箇所                                  右:「柳川しだれ」は遅咲き  これは違います


江南所無 見頃は数日後

   
梅林を後にし、千波湖へ、、、コブハクチョウは帰国 コブハクチョウが見られます

東門まで戻り、偕楽園駅へ向かう人と別れ、偕楽橋へ、これから入園する人、帰る人で橋の上は賑やか、バスツアーの団体も多い。午後はポカポカ陽気、、、、。青空が広がる。

梅まつり:吉野梅郷を散策  幕山

今日の観梅での徒歩:13,136

HP:わたしの天気予報